武本広 中国闘病日誌
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3月3日 上石神井から北京に行っチャイナ!!
3月4日〜5日 コミュニケーション・ブレイク・ダウン
3月6日 本格的に始動!そして別れ...。
3月7日〜8日 決戦の土曜日!!
3月9〜10日 始まった、発熱。
3月13〜14日 寝ても苦痛、起きても苦痛
3月15〜16日 やっと、光がみえた気がした!
3月17日 ブロークン・ウイングス
3月18〜19日 ついに、キタ〜〜っ!!
3月20日 王先生、2回目の登場!!
3月21日 やっぱり、コイツとは解りあえね〜!!
3月22日 ビユーティフル・サンデー
3月23日 何気に、バタバタした1日。
3月24日 ミエナイくさり...。
3月25日 シャックリ地獄!!
3月26日 体調と天候と妻の帰還
3月27日 まだ、不安も残るが、再開の喜びに歓喜!!
3月28日 お〜〜〜っ!!ナイスだね!!!
3月29日 穏やかな日曜日にサプライズ!
3月30日 明日、決戦の日!
3月31日 2回目の塞栓術!
4月1日 エイプリルフール!
4月2日 気分良好!
4月3日 今日はお休みします。
4月4日 断髪式。
4月5〜6日 1日お休み、そして妄想。
4月7日 朗報、再び!

@上石神井から北京に行っチャイナ!!

3月3日(火曜日)

朝6時頃に起床、所定の薬などを飲み朝食を摂る。


今日は、テレビクルーの方々と一緒に成田へ向かう事になっている、

事の経緯はまたの機会に伝えたいと思いますが今回は割愛させて頂きます。

 

9時半頃、いよいよ出発の時間が近づいてくる、最後に母に最後の挨拶をしに行く。

「行って来る」うん!「頑張って来るよ」うん、気丈に振舞っているが辛いであろう事が手に取る様に分かる。

正直、年の母を残して渡中するのは気が重いが、自分の体の状態を考えると、そうも言ってられない。

 

十時過ぎにテレビクルーと迎えのワゴンタクシーが来て、いざ出発!

僅かに空気はヒャっとするが底冷えする程ではない、気持ち良い出掛けである。

 

空港に向かう道すがらインタビューを少し受ける事になる、

流石に慣れてると言うか上手くこちらの答えを引き出す様な質問の仕方をしてくれる。

インタビューをされてる時に、「武本さんは、人に恵まれてますね」って、言われたが自分でも本当にそう思う。

妻の会社が日本では未認可だが癌の薬関係の会社で、そのルートからセカンドオピニオン先を見つけたり、

そこから東大病院を紹介して頂いたりと、自分では絶対に探せない道筋を得られたり、

挙句には会社の実験的要素も含んでいるとはいえ、

「費用を全部持つから、中国の王先生の所に行っておいで」って、

社長さんが仰ってくれたと聞いた時には、ありがたくて涙が止まらなくなりました。

これらの事や妻が本当に自分の為に一生懸命にしてくれてる事をを考えても、

人に恵まれているとは、つくづく思う。

思えば、僕のこれまでの人生は自分の為に生きてきたのだと思う、

35歳になった時に人生の半分位歩んで来たんだと、考えた時が有り、

一度は目指してたプロゴルファーにもなり、家族の反対を押し切ってバーを開店させ、

好きなだけ飲み食いして、本当に悔いの無い人生を送ってきたと自負もしてるし、

周りの人達も疑いなく納得するだろう。

 

そんな折、癌である事が分かりショックでは有ったが、何時死んでも後悔がない人生だったと思えるし、

まぁ良いっか!って本気で思っていて、その時ふと、妻の為に僕は何をして来ただろう?と、思った。

甲斐甲斐しく看病をしてくれて、泣きながら「もっと一緒に色んな所に旅行しようって言ったじゃない!」

「老後も一緒に過ごそうって言ったじゃない」って言われた時、言葉が出なかった...今までも15年間、

仲良く過ごして来たつもりだし、お互いに思いあって過ごして来たつもりだったけど、

本当に本質は自分の事で完結していたんだと思い知らされた。

 

ここまでの35年人生の半分を自分の為に生きて来たのならば、

ここから先の半分は妻の為に生きなければならないと思い決意を新たに病気と闘って、

治して二人で旅行したり、手を取り合って老後を過ごしたいと誓いました。

 

そう思うと急に死が怖くなり感情の起伏が激しくなり泣いてばかりになりました。

でも、会社にも行き、看病もして、悲しさも堪えてる妻を思えばそんな事も言ってられません。

 

ここが一番の人生の岐路になる選択が中国行きでしたが、

恐怖や不安よりも治るなら何処へでも行こうと決めました。

その選択権も妻にゆだね残りの人生の先ず最初の権利を差し上げよう!生きるために。

 

 

随分と、話がそれたが間もなく成田国際空港に到着しそうだ。

 

空港では、テレビクルーに会社の方々で総勢8人の大所帯となった。

この時、初めて妻の会社の社長と対面した。

同い年って事も手伝って話易かった、感謝してもしきれないし言葉も無いが、精一杯のお礼を言った。

社長も「一緒に頑張りましょう!絶対に治して帰りましょうね」って...泣けてきた。

 

さて、久々の成田は、広かった!

挨拶もそこそこにチェックインの時間になったが研修中の係りの人に当たったらしく

非常に手際が悪くイライラもしたが、痛み止めが切れる時間になり体が大分辛かった。

取り合えず、痛み止めは飲んだが、時既に遅しって所で全身に倦怠感が出始めてました。

そんな中、せわしなく離陸の時間がせまって来てました...4時間近くのフライトは流石に辛かった。

出発前に、天仙液の本社の社長や妻の会社の社長が、

中国行きの体力を随分と心配されてた理由が分かった気がする。

 

現地時間午後7時に到着の4時間の空の旅は、

中華航空機でフライトアテンダントなどの行動や立ち振る舞いがいかにも中国人らしいな〜と、

思わせるアバウトさが至る所に感じられた、しかし機内食は非常に美味しかった!

中華料理はやはり日本人のくちに合う様だ。

 

日本との時差は、1時間現地時間の7時過ぎ、北京空港に到着した。

初めての中国、よもやこんな形で足を踏み入れる事になるとは夢にも思わなかった。

海外特有のタラップに出ると、むせかえる様なその国独特の臭いは、まるっきり無い。

そして、驚いたのが空港の広さと綺麗さと近代的な様相でした!

オリンピック後って事も大きいとは思うが、驚いてしまった!考えを改めないといけないと思った。

 

しかし、とにかく!やたら広い東京ドーム何個分位だろう?2〜30個分だろうか?

入国審査場から預けた荷物場までモノレールみたいな物で移動するのだけど浜松町から

大井競馬場位の距離が有ったと思います。

 

 

空港に迎えが来てるって話は聞いていたのだけど、出口を出ると4〜5人の方々が

正に熱烈歓迎って位の出迎えで驚きました!

通訳をしてくれている黄さん(こうさん)を介して分かったが、

天仙液の本国の社長や専務などのお偉いさん方でした。

写真は何台かでパシャパシャ撮ってるし、テレビカメラは撮ってるはで

周りの利用客はどんなVIPが来たのかって顔して遠巻きに見てました。

 

実際、自分自身もこんな歓迎を受けた事は今まで人生では無いので、

僕なんかがこんな待遇を受けて良いものか?って怖いくらいでした。

その後車で40分程で病院に着くらしい、7時位なのに辺りは真っ暗だ!

高速に乗り少ししてから、窓から外を眺めてると気付いたのだが、

同じ緑地に白で一般道が青地に白で、ボ〜ッとしてたら日本と錯覚しそうです。

 

体も疲れてきて、辛くなりかけた所でようやく到着しました!

この北京の病院は出来たばかりの最新の施設って聞いてはいたが、ここでも驚かされる。

敷地面積は広いし、綺麗だし、部屋がホテルの様に綺麗で豪華だ!

後で聞いた話だがこの部屋も結構良い部屋をあてがって貰えてるらしい。

 

 

荷物を置いて食事だと言われたが30分は体を横にしないと動けないと、

伝えて家を出てから今日初めて横になれた...ホッとした。

しばしの休憩の後、特別室の様な部屋で、病院の医院長に婦長に会計委員長に担当医、

それに本国のお偉いさん達、さらに日本からのメンバーで凄い面子での豪華な晩餐になりました。

 

本当にVIP待遇だ!しかし凄い病院だね、院内にこんなVIPルームは有るし、

豪勢な山の様な料理も病院のスタッフが作ったらしい!!

そこら辺の高級中華に一切引けを取らない見栄え、味でした!

そして映画ばりの、ドでかい円卓で食べました、なんと!ゆっくりと自動回ってるんです!

どんだけ豪華なんだ?

中国の金持ちはすごいね!

 

その食事の席でも病院スタッフ一同で「必ず治すから心配するな!」や

「治療は自信が有るから、あなたは気持ちを強く持って笑顔を忘れない事だよ!」など、

ここでも涙が止まらなくなった...皆して泣かせ過ぎだよ!!

病と闘う医療スタッフと患者の気持ちは、どの国も同じなんだと思い異国での優しさに嬉しくて、堪らなかった。

 

この病気になってから、診察を受ける度に結果が少しづつ悪くなり沈んでいると

必ず光明が差し最低だけど最悪の事態は常に回避してる。

今回は全て妻の人脈で僕は生かされてる気さえする...いや!きっと妻の想いが、

僕を死なせない!って思いが、引き起こしてる奇跡みたいな

物だと思わざるを得ない状況は疑う余地さえないと思う。

 

こんな感じでスタッフ一同の会食は夜中の1時頃まで続いたらしい...

僕ら夫婦は体も疲れたので早めに席を立ちました。(これでも一応重病人なので...)

部屋に戻り、長かった一日にようやく終わりを告げられました。

 

明日以降から本格的な治療方針などが決まっていくことだろう、

明日の英気を養うためにも今日はこれで眠ろう。

 

完治する夢でも見ながら...お休みなさい。

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